大島小学校

大島小学校

2018年3月9日金曜日

全校朝礼校長講話「東日本大震災7周年追悼」


 全校児童の皆さん,給食を食べながらでいいので,静かに集中して聞いてください。
あさって3月11日(日)は東日本大震災から7年がたった日です。7年前の2011年6月のある日,新聞にこんな投書があったそうです。
貧しい国の人たちに,「今,幸せですか?」と尋ねると,「今日はご飯が食べられたから幸せです」と答える。日本で同じことを尋ねても「幸せです」と答える人はたくさんいない。 これは私が高校生の時に先生から聞いた話だ。きっと人は一度大きな幸せを知ると,それよりも小さな幸せを「幸せ」と考えられなくなるのだろう。しかし,東日本大震災をきっかけに,今までの「当たり前」を「幸せ」だと改めて思うことができた。支えてくれる人がいる。雨風をしのげる家がある。ご飯が食べられる。物事を学ぶことができる。これらは,当たり前のことではなく「幸せ」なことだ。
私の住む地域では地震の影響はほとんどない。その中で私たちは大震災を忘れることなく,今ある「当たり前のこと」に感謝しながら,一日一日を精一杯生きていく。「幸せですか」と聞かれ「幸せです」と笑顔で答えることができる,そんな生き方をしたいと思う。
 大島小学校のみんなは,家の中に暮らしていて,毎朝,家族と一緒にパンやご飯を食べて学校に来ます。学校に来れば,そこに学校があり,昨日と同じ友達や先生がいて,授業を受けたり遊んだりします。夕方,学校から帰れば,やはりそこに家があって,そこに愛する家族がいて,温かい晩ご飯を食べます。「これが普通。これが当たり前」と気付くことなく毎日を暮らしています。
 しかし,7年前の3月11日午後2時46分,東日本大震災に見舞われた人たちは,私たちと同じ「普通の,当たり前の暮らしと時間」を一瞬の内になくしました。信じられないような大きな地震とその後の高い津波によって,たくさんの家が無くなったり,約1万6千人の家族が亡くなったりしました。おおい町の約2倍の人たちが亡くなったのです。また,今も,行方不明の人が約2千5百人います。今朝,「行ってきます」,「行ってらっしゃい」と声を交わした家族が,そこにあったわが家が,友達や先生,そして学校が,わずか8時間後になくなりました。そこにあった「普通の生活」,「いるべきはずの家族・友達・先生,あるべきはずのわが家と学校」がなくなったのです。
 皆さんは,このような地震や津波によって家族や家を一瞬の内になくしていません。津波に飲み込まれる人や流される家を自分の目で見たことはありません。
 今,大切なことは東日本大震災で「普通の生活」や「当たり前に自分の周りにいる家族・友達・先生そして家・学校」を奪われた人たちを思うことです。
 今,嫌なことがあっても不平不満を言うことなく,「普通の生活」と「当たり前に自分の周りにいる家族・友達・先生そして家・学校」に心から「ありがとう」と言うことです。ご飯が食べられること,勉強ができること,家族・友達・先生がいること,自分の家・学校があること。これらすべてが「当たり前のこと」ではなくなった7年前の東日本大震災を忘れないで,「当たり前のこと」に「ありがとう」の気持ちが持てると,今日一日を一生懸命生きようという気持ちになります。嫌なこと・困難なことがあっても,頑張ろうという気持ちになります。さらに,東日本大震災で亡くなった人の分まで一生懸命生きようという気持ちになります。
 あさって3月11日(日)午後2時46分。東日本大震災が起こってから7年がたった時刻に,今お話ししたことをもう一度思い返して,目を閉じて,亡くなったたくさんの人たちと今も行方不明の人たちを思いながら手を合わしてください。どこにいようとも,友達と遊んでいようとも,立ち止まり,目を閉じて手を合わしてください。約束ですよ!

書写・版画・絵はがきの表彰も行いました